ものすごく久々の更新です

ブログ、ごぶさたすぎて申し訳ありません。
Facebookを日記代わりにしているので、これからは転記して更新回数を増やしていきます。
さていつまで続くやら・・・ですが。

国が2018年度から道徳を教科にしようとしている。
教科にするとは、つまり道徳に成績がつくということ。
よい心をもっているか、という内心に成績がつく。
ほっといてくれとまず言いたい。
先生の問いに成績を気にして答える「よい心」なんて本当の「心」とは言えない。
よい心の基準は国が「学習指導要領」で決める。
子どもに「よい心」を教える国は「よい心」をもっているか?
お年よりは大事にしようと言いながら、福祉と介護は金がかかるからと切捨てと負担増を繰り返している。
困っている人を助けようと言いながら、貧困を拡げている。
いじめはダメと言いながら、自衛隊内で日常的にいじめがあり、
悪いことをしてはダメと言いながら、閣僚たちが不正にお金を使っている。
暴力はダメと言いながら、戦争をできる仕組みを着々とつくっている。

戦争が終わってすぐ、当時の文部省は、戦前のように時々の政権の都合で規範や道徳心という名で、内心の自由を侵してはならないと、道徳を教科からはずした。
この戦前の反省はどこにいったのか。
子どもの心の荒れは、国が一つの「よい心」を押し付けてどうこうなるものではない。
うちの子どもたちの日々を見ているとよ〜〜くわかる。
子どもは悪いこともするし、嘘もつく。
そんなことをしながらも、先生や友達やまわりの大人との関わりで、失敗しながらいろんなことを学んでいる。
クラスや学年や学校や地域で起きるさまざまなぶつかり合いや子どものつぶやきから出発して、子ども同士が考えあっていく生きた学びをしていくことで人間の心は育つ。
たとえその時、自分の過ちを認められなくても、その時に心にチクッとささったとげのようなものは大人になった時に生きてくる。
そういう生きた学びを軽く扱い、教育にも大人の社会にも格差や行き過ぎた競争を持ち込んだことこそが、子どもの心を傷つけているんじゃないのか。

第1次安倍内閣のときに、成し遂げられなかった道徳の教科化。
この狙いは、国の示す「道徳心愛国心」を教えること。
公の秩序のために、つまり国家の統治のために役立つ行いが「よい行い」と考える国民を育てることが目的。
自民党憲法草案通りの国民を育てるためだ。

「道徳の教科化」
親の目を国から離さず、「子どもたちを再び戦場に送るな」とがんばってきた世代の人たちと一緒に、この企てをストップさせよう。