新年度、桜の木の下で


性懲りもなく、ブログご無沙汰しておりました。
2013年度の長岡京は桜が満開の中でのスタートです。
いまは、3月議会報告のニュースを議員団でつくっている最中です。
3月議会では、
保育所の待機児童解消と国が2015年度から本格実施させようとしている保育の新システムの中で、長岡京市が親のニーズに合う保育施策をいかに展開させていくのか。
②向日が丘支援学校に通う子どもたちの放課後・長期休業の居場所づくりや地域の学童保育への移動支援を充実できないか。
③発達障がいなど、教育に特別な支援を必要とする子どもたちが進学し、やがて成人して社会で生きづらさを感じることなく暮らせるように、途切れなく発達支援をおこなっていくための仕組みをいかにつくるか。
原発事故を受けて地域防災計画に初めて盛り込まれた原子力災害対策は、大地震原子力災害を同時に受ける複合災害を想定できているか。
などなどを質問しました。
他にもたくさんの項目を質問や提案したので、自分自身の今後の議会活動のためにも、どこかでまとめておこうと思っていますが、今回は原子力災害について私の思いを書きます。
原子力災害については、国や原子力規制委員会の責任が重大です。
東日本大震災(自然災害)によって原発事故が同時に起きたにも関わらず、国からも原子力規制委員会からも、地方自治体に複合災害の被害想定が示されていません。
もし万が一、福井県から関西にかけて大きく被災する大地震などがおきて、そのために原発の過酷事故が発生したら、単独の事故でも、京都府北部からすぐさまに数万人の住民が南部に避難する具体的なすべがないのに、道路が寸断されるような災害が起きたらどうするのか。
長岡京市で「屋内退避」をしなければいけないような、放射能の放出があったら、仮に避難所を開設するほどの規模の震災だった場合、どうやって市民の被曝を防ぐのか、災害対策で奔走する市の職員さんたちは防護服もないままに屋外で被曝することにならないか。
など、そうしたことを思うにつけ、原発問題は、もはや、エネルギー問題でも政治問題でもなく、命を守る防災問題だと痛感します。
そう考えれば、今すぐにでもすべての原発廃炉に向かわせ、数十年かけて原子炉をなくすこと、今存在する使用後のものも含めた燃料の保管について未来に向けてどう責任をとるのかす真剣に考えることこそ、何よりの防災なのではないか、そう感じます。
長岡京市は、防災・減災対策に力を入れています。
すべての学校に災害時のライフラインが止まったときのためにマンホールトイレを設置していて、行政視察で多くの自治体や地方議会が来られています。
原発事故後、いち早く放射性物質の空間線量と、給食用食材の測定をはじめました。
「災害から命を守る」進んだ取り組みをしている長岡京市には、ぜひその立場から「原発をなくそう」と国へ発信する自治体となってほしいと思います。