年が明けて思うこと

総選挙、議会、ととても慌しかった12月が終わり、あっという間に年が明け、すっかり2013年の気分です(^^)
改めまして、明けましておめでとうございます。
「おめでとう」と心から言うには、国の政治で起きていることはあまりに危うく、参院選のある今年一年が、原発の再稼動や増設、憲法の改悪、消費税の増税、TPP交渉参加、保育制度の大改悪などなどを止めることから始めないといけないのだな、と、なかなか晴れ晴れとした気分にはなれません。
でも、去年から始めたFacebookでは、さまざまな人が、原発被災地の子どもたちを放射能から守るためにがんばっている様子を伝えたり、世の中で起きている出来事について自分の考えを発信して交流し合えて、自分のできることを見つけられたり、深め合えたり、元気づけられたりしています。
年が改まり、私たち議員団の12月議会報告ができあがったので、もうすぐ、市内のみなさんの家にお届けできます。
総選挙の結果をみたときに、私たちが巨大メディアで報じる内容とは違う視点で、ローカルで、そして、ネット上で、何をどのように伝えていくか、このことがとても大事だとさらに強く思いました。
戦後最低の投票率だった総選挙で、前回よりも得票を減らした自民党が、それでも単独で6割の議席を占めました。この結果をどうみて、次に向かうか。
サイレント・マジョリティ(沈黙する多数者)と呼ばれる、選挙に行かない人々が、無関心だから選挙に行かないのか、ふさわしいと思う候補者や政党がないからか、現状に満足しているからなのか、政党に属して政治に携わる者として、考察しないといけません。
子育てをしている友人たちと、たくさん政治の話をしながら取り組んだ総選挙だっただけに、主権者としての大事な一票を、意識せず、あるいは意識して使わない人々がたくさんいることに、おそろしさを感じてもいます。
国民が、政治で起きていることに目を向けづらくなったときは、国の政治はよからぬことをし出しているのではないか。
戦争が終わった後、日本国憲法は、再び戦争をし、国民の自由と権利を奪う国にならぬよう、権力に対し、「戦争放棄」や「国民主権」「基本的人権の尊重」を最も重んじるべき責務にし、権力にその責務を守らせるのは、国民の不断の努力によって実現できる、としています。
話は変わりますが、大阪の市立高校生の、部活顧問からの体罰に苦しんだ末の自殺。
体罰は次の体罰をつくり、暴力を肯定していく。
先生に認めてもらいたい、と思う生徒が、その先生のふるう暴力を拒否することはとても難しい。
同じように、社会の中でも、「首にされたいのか」の脅し文句で多くの働く人が、物を言えずに劣悪な環境の下で働いています。
こういうことを後押しする権力に対し、私は大きな怒りをもっているし、もっと一人ひとりの命と存在が大切にされる世の中をつくる努力をしていこう、と呼びかけていきたい、と思っています。
思うままに書いていましたが、最後に、体罰・自殺の事件について、尾木ママが「しんぶん赤旗」に寄稿してくださった記事をご紹介します。