内部被曝の事実

宇治市での豪雨でたくさんの方が被災されました。
日本共産党も、地元議員団を先頭に、被災状況の把握に全力を上げています。
被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。

さて、先週8月11日に、さよなら原発長岡京市民の会が、鎌仲ひとみ監督「内部被ばくを生き抜く」の上映会をしました。
60名余りの市民の方々が参加されました。
「鑑賞」ではなく、「参加」です。
原発事故や原爆の実相を医師たちが語る姿を映す映像は、「観ること」が「知ること」となり、やがて「伝えること」につながるからです。
参加された中に、関東地方から、夏休みで長岡京に帰省してきた、また、最近引っ越してきた、という若いお母さんがいました。東日本の大気、土壌、下水の高い線量に不安をもっておられました。でも、行政もメディアも「大したことない」と片付けてしまうので、声を上げることにも大変勇気がいる、とのことです。
なぜ、政府は内部被曝の問題を無視し続けるのか。
8月6日放送のNHKスペシャル「黒い雨」がその「なぜ」を追っています。
また、今、私が読んでいる最中の「内部被曝」(矢ケ崎克馬・守田敏也著)でも、「なぜ」が解き明かされています。

1950年代に、アメリカ政府は、核兵器の開発を本格化する一方、水爆実験などで世界中から核兵器に対する批判が起きた頃、同時に「核の平和利用」の名のもとに原子力発電などの開発もスタート。
核兵器は脅威となるが、原子力の平和利用は、「安全」だというイメージを世界中に刷り込まないといけない。
だから、「黒い雨」など残留放射能が人体に被害を及ぼすことは、何があっても世間に知られてはいけないと、ヒバクシャの健康への影響調査をしながら、そのデータを封印しました。
その結果、広島では、爆心地から半径2Km以遠の住民は、明らかに「黒い雨」を浴びたための健康被害が出ているのに、因果関係を証明できなければ、原爆症とは認めない、とされ、医療手当ても何も受けられずに、多くの人が亡くなり、また今なお苦しんでおられます。
日本政府がアメリカ政府の核開発に従い、自らの国民の救済をあえて意識的にしてこなかった。
また、この線引きは、放射線量や被曝線量の規制値の国際基準にそのまま反映され、ここでも意図的に、基準より下回るものは許容範囲とされてしまったのです。
この国際基準のもとに、今の政府は「人体に影響はない」だの「それほど深刻な状況ではない」だのと、東電福島原発事故後の東日本の現状を過小に評価しているのです。
原爆と原発事故は、深く深くつながっている。
内部被曝を認めたら、補償をたくさんしないといけない、そんな理由でも言語道断ですが、問題はもっと根深いものだということを知りました。
内部被曝を認めたら、日米で進めてきた核の開発にブレーキがかかる、ということなのです。
「命より儲け」許せません。
福島から広島に避難移住している小学校6年生の作文が大人たちに答を求めています。
 「私は、戦争をすると、する分だけ、世界から幸せが消えると思います。でも、戦争をしていなくても放射能のことを心配してくらさなければならない今の日本も決して平和とは言えないと思います」。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120806-00000009-mai-soci