児童虐待防止キャンペーン市民大会

秋深まり、子から親へ、親から子へ、我が家は風邪の回し合いっこをしています(>▽<)
昨日は、NPO法人ほっとスペースゆうさん主催、長岡京市・市要保護児童対策地域協議会・市子育て支援ネットワーク共催の「児童虐待防止キャンペーン市民大会」に参加してきました。
民生委員さんや子育て支援団体の方々がたくさん参加されていたようです。
 舞鶴学園園長さんの講演
 フリマブースで買ったトトロのクリームパン
拓夢くん事件から5年。
事件を風化させてはいけないし、また、虐待問題を死亡事件だけに特化させてもいけない。とは、午後からの分科会での元京都府家庭支援総合センター副所長さんの言葉です。
児童虐待防止法で緊急性が確認された家庭に行政が介入することができるようになった、とはいえ、そこにいたるまで、またはそこにいたらないけれど、子育てに困難を抱えている家庭への支援の入り方に、非常に苦労されていることが、いろいろの事例を紹介しながら報告されていました。
その分科会のシンポジストは、市の保健師さん・保育士さん・教育委員会指導主事の先生、主任児童員さん。
子どもが生を受ける前の妊娠期から中学生までに関わっておられる方のお話を、ずらっと通してきくのは初めてです。
妊娠期から、不安を抱えていたり、母子手帳申請の遅れている妊婦を見守り、育児困難のリスクを軽減していこうと試みている保健師さんたちの視点や、乳児から中学校まで行政や関係機関が親子の状況を橋渡しにつなぐとができるようになった、という報告。
これらは、言葉で書いてしまえば簡単ですが、現場ではとても配慮のいることであり、細い糸を切れないようにたぐりよせる、そんな仕事であることが、職員さんや主任児童委員さんが発言で紹介されたいくつかの事例をきいてわかりました。
午前中の基調講演の講師だった、児童養護施設舞鶴学園」の園長さんは、「児童養護施設児童福祉法によって18歳になれば、社会に何のよりどころがなくても、子ども達は出て行かなければならない。子ども達は18歳になるまでに、学歴や技能よりも生活していく力、他人と自分を信頼する力、自己肯定感を身につけなければいけない。“生まれてこなければよかった”と思わされている子の心と記憶の空白を埋め(:虐待などで望ましい環境にいなかった期間の記憶がポッカリなくなっている子どもも多く、児童養護施設で暮らすということは、その抜けた間の子ども時代をもう一度やり直すということでもあるのだそうです)、自立する力をつけなければいけない」とお話されていました。
返して言えば、家庭にいる子ども達には、親が、家族や地域と一緒にその大きな仕事をやらないといけないのです。
舞鶴学園が貫かれている子ども達へのまなざしは、子どもの置かれている境遇は違っても、私たち親と、その周囲の大人たちが原点にしないけといけないことだと学びました。
こういう子育てについての学びの場は、親としては、何度もくり返しきいても、そのときそのとき、ハッと我を振り返る機会になります。
私も、昨日の朝、ガミガミガミガミ怒りたおしたことを反省しながらききました。
そして、こういう学びの場から帰るときには、来る前よりも子ども達がとても愛しくなれる場でもあるのです。
5年前の事件の後の議会で、私が親の1人としていえること、できることは何だろう・・・と自問しながら、市民全体で子育てについて学び、交流できる市民フォーラムの開催をしてほしい、と提案しました。
こんなに大きな集まりの場の開催を、行政や他団体と一緒に何度も実行されている方々がおられることが心強くもあり、ありがたくもあります。
これからも、いろいろな形で毎年この時期に長岡京市で、こうした場がもたれることを願います。
私も、親としては半人前ながら、そして微力ながら、絵本の読み聞かせボランティアや、お母さん達のつぶやきを届ける活動を続けていきます。