共産党への疑問

久々の更新です。
「うつってもまあいいか」といいかげんにしていたら、ハルのおたふくかぜ、見事にアキにうつりました。
のべ3週間、議員活動は最小限におさえての日々。
今週久々に子どもたち二人を保育所に送り出した後は、洞窟から抜け出せたような気分でした。

昨日、長法寺の校区で日本共産党の「語るつどい」を開きました。
地域に住んでおられる方のご厚意で、お家をお借りして開くこの「つどい」、長法寺校区では12回を数えます。
昨日も、近所の方たちも来ていただいて、共産党についていろんなご意見・疑問を出してくださいました。
共産党はなぜ党名を変えないのか。」
と質問が出ました。
よく投げかけられる疑問です。
その後、「変えないところを見るとやっぱり旧ソ連北朝鮮のような国造りをしようとしているのではないか。」と続けられました。
共産党の党名には、自由と平等が完全に実る社会をめざす党の理念を表しています。
ソ連が崩壊した1980年代の終わり頃、マスコミなども『共産主義の時代は終わった。
日本共産党も、路線と党名を変えるべきだ』という論調で一大キャンペーンがはられました。
日本共産党は、ソ連が崩壊する以前から、ソ連の国内外でしていることは、民主主義も自由も否定する覇権と抑圧であり、社会主義でも共産主義でもなんでもない、帝国主義である、と言ってきました。
もし、日本共産党が党名を変えたら『やっぱりソ連共産党などと同じような政党だから名前を変えたのだろう』と言われていたと思います。
日本共産党が綱領を変えず、財界やアメリカ政府を中心に据えているのが今の日本の政治の行き詰まりの根本です、と言い続ける限り、党名を何にしようと、「ソ連北朝鮮と同じだ」と相変わらずのことを今、権力を握っている人たちは言うと思います。
でも、シベリアに抑留され、そこで、仲間の命が奪われ奴隷のような扱いを受けた世代の方、戦前の「共産党は非国民」の教育を受けられた世代の方、革マル派と称する集団が大学などで暴力によって主義主張を唱えていたのを目の当たりにされた世代の方には、その存在が日本共産党とイコールになっていて、今でも日本共産党に強い拒絶感をもたれている、ということ、私には、本を読んだりしてしか知り得ない歴史です。
その歴史の積み重ねの中でもたれている感情をほんの少しの時間だけでぬぐうことなど、できないな、と思います。
人間が人間として大切にされる社会をめざす日本共産党に共鳴して日本共産党の生き方を選んだ私は、歴史を振り返りつつ、今と未来に向けて進んでいくことで、何かしらを伝えることができれば・・・と思います。
なんか、結局「がんばります」的なことしか言えないのが、情けないですが・・。
お家を使わせていただいた方が、このブログを見てくださっていました。
「もっと政策やあなたの意見を資料など示しながら書かないとつまらないよ」と、私が、実は、自分自身思い続けてきたことを指摘してくださって、背筋が伸びました。
我が家のぼんくれきょうだいの様子をブログで知らせて、と友人から言われてはじめたこのブログ。
でも、市会議員、日本共産党の肩書きを背負って、そのことも公開しているのですから、自分自身でもこんなんでいいのかな、と思っていたときだったので、背中を押していただいてよかったです。
ぼんくれきょうだいとの日々も綴りつつ、精進していきたいと思います。