平和の鐘の音 ヒロシマ

今日8月6日は63年前に広島に原爆が落とされた日。
長岡京市を含めた乙訓では今年も、朝8時から、9つのお寺で、平和のつどいと鐘つきが行われました。
あわせて人口15万人ほどの小さな地域で、9つものお寺が、二度と悲惨な戦争をくり返さないように、核兵器廃絶と平和の願いをこめて、鐘をつかせてくださるのは、すごいことだと思います。
一度だけ、光明寺さんで参加した以外は、私はいつも金連寺さんで鐘をつかせてもらっています。
 ←境内には戦没者慰霊碑も。
今年は、いつにもまして、参加者が多く、自己紹介かねての一言が全員言える時間がなかったほどです。
平和のうたをみんなで歌い、自己紹介した後に一人一人鐘をつきました。
 ←小さな子の鐘の音も。
広島では広島市長が、今朝の記念式典のアピール表明で、広島の原爆被害の全容がいまだに解明も解決もされていないことに対する怒りと、広島では、今後2年間かけて被爆の実相を科学調査すると、核兵器廃絶に向けた決意を込めて述べられました。
今年までの間に、原爆死没者は25万8310人。
乙訓の人口よりはるかに多い方々が、一瞬にして、あるいは、長い年月をかけて、殺されていった。
その痛苦と無念を風化させてなるものか、というヒロシマの思いが私に突き刺さりました。
幼い頃、ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキと願って、両親が毎年のように、「平和のための戦争展」に連れて行ってくれました。
今年の鐘つきは、そんな親の意思を継いで、ハルと一緒に参加しました。
まだ、鐘をつくことが目的で、きっとなぜ鐘をつくのかの意味はわかっていないと思うけど、少しずつ親子で戦争のことを語り合う時間を増やしていきたいと思います。
 ←ハルが撮ったお堂の上の「青い空」


さて、2才のぼんくれ。
甥っ子の誕生日には、「といざらす」までプレゼントを買いに行く夫が、我が愛娘には、手を抜きまくって、誕生日当日の仕事帰りに、食材を買いに行くついでに近所の西友ですませた、あんぱんまんのらくがき教室。
でも、アキにとっては手を抜いたかどうかはどうでもよくて、モノが何であるかが肝心なので、やっぱり、ひまがあったら、気に入って遊んでます。

体が小さいのは遺伝だから、とわかっていながら、食が細いことや体力がないのが、心配の種。
でも、心の方はすくすく育っているようで、明るくたくましく、2才を迎えられてよかったよかった。