許さん!保育への国と市場の介入 その①

保育行政が大きく変えられようとしています。
今日はその一つ、国が新「保育所保育指針」を告示化したことについて。
これまでは、国のつくる保育指針は「通達」だったので、市町村に「こういう保育が望ましいので努力を」といったものでしたが、「告示化」となると、そこに法的拘束力が生まれるので、保育の内容に国が介入してくるおそれがあります。
国は、何を持ち込もうとしているのか──。
まず、「道徳性の芽生え」と称して、保育内容で、国民の心のありようはこうあるべきと決めて、国が強要してくる。
さらに、「文字」で伝えることを保育実践に導入するなどの早期教育
さらに、保育士や保育所に自己評価させ、国のやり方にそぐわない保育をさせないよう、管理していく。
といった感じです。
ものすごく怒りを感じます。
保育所では、生活や遊びや体験を通じて、子どもたち同志の関係も社会的ルールも学んでいきます。
子どもの心のありようを強制するのではなく、自分で自分や他者を大切な存在と認められるように、保育者の方々は日々の保育を振り返りながら明日に、来週に、来月に、来年に、とつなげておられます。
国が決めた範囲内におさまる心を持つ子どもに育てよ、など、本当にこんなことが全国津々浦々の保育所で実行されたら、その子どもたちの未来の姿はなんと恐ろしいものか。
それこそまさに戦前の教育そのものです。
義務教育に、つめこみによる競争とふるいわけの教育を持ち込み、格差や子どものつまづきを深刻にさせてきた、国の失政を何の反省もすることなしに、小学校から始めてきたのがまずかった、と言わんばかりの内容です。
厚労省、そんなことを考えるひまがあったら、保育所を増やしたり、施設や職員配置基準をよりよくするために、どうやって財務省に予算を増やさせようか、ということに心血注いだらどうだ!
これはまだ、すべておそれがある、という段階にすぎませんが、新「保育所保育指針」は、来年度から施行されるので、ぼやっとはしていられません。
長岡京市の保育をこんな国の企てに汚されないよう、親が保育について考え合う場所とかつくったり、議会で取り上げていかないと、と思います。


さて、怒りをしずめて、今日のぼんくれ。
今日は七夕の日ですね。
我が家にもハルが保育所でもらってきた笹飾りが、じめじめの熱風に揺られています。

ハルは、先日書いたように「たまなし自転車に乗れるようになりたい」を願い事にしました。
ひらがなを書くことはまだ全然、読むのは何個かぼちぼちできるようになったというハルに、夫が遊び半分で文字を書かせてみました。
 でんしやe。
ネットショップでも開きたいのか、と天の川の住人に思われそうです。
「じ」が90度回転し、さらに反転して「づ」になって、「て」とくっつくとこうなります。
「e」はたぶん「の」と書きたかったのでしょう。
「のりたい」が書ききれなくてウラに続きを書いたようです。
夢は願ってるだけでは叶わないので、昨日からたまなし自転車の練習をはじめました。
今日も帰ってきたら練習しよな!
こんな幼児の何人にも縛られない心に、「道徳」とか「文字」とか国がいちいち口出しするな〜〜〜!(しまった、また怒ってしまった)