憲法9条と沖縄

2日に鳩山さんが辞任表明をしてすぐに、日本共産党の府委員会が作った「鳩山辞任」の大見出しのビラが、昨日にはもう古くなって、使えない、というくらい、国民にとっては、あわただしく菅さんに首相が決まりました。
首相が誰に代わろうと、国民の声に応える政治をつくれるかどうかは、基地や暮らしの問題の根っこにある、アメリカ政府にものが言えるか、財界の意見に流されず、国民目線で雇用や社会保障を充実するルールや財源をつくれるかにかかっています。
そんな思いで、地道に西友やリバティの前で訴えています。
今日は、憲法9条の会・長六校区ネットの5周年のつどいに、子どもと近所のアキの友達母子と参加しました。
講演は、吹田市の中学校の先生。
修学旅行は沖縄の平和学習を、と長年、取り組んでおられているものすごくパワフルな、情熱的な先生です。
沖縄の集団自決は軍の強制だった、という記述を削除した教科書検定に対する訴訟運動にもかかわってられたり、と、沖縄と本土を、そして、戦争体験をされた世代と今の子ども達をつなぐ活動をされている先生です。
沖縄戦を語られていた戦争体験者が亡くなったときに、教え子たちにそのことをメールで伝えたら、「先生、大丈夫!私らは聴いた話をちゃんと覚えてるからな!」と返ってきたそうです。
沖縄では戦争は終わっていない。
ある教え子は、沖縄の大学に進学し、そこで社会人になり、普天間基地のすぐそばで子育てをしていましたが、子どもが2歳になったときに、毎日繰り返される米軍機の轟音で子どもが昼寝もできない。
家の窓の外にはすぐそこに米軍ヘリが飛んでいて、いつ何が起きても子どもを連れて家から逃げられるようにと、子どもの荷物を玄関に一番近い部屋に置いている、という現実に「ここで子育てはできない」ととうとう大阪に戻ってきた、というお話。
まるで防空頭巾を首から下げて生活を送らないといけなかった戦時中を思わされます。
イラクの中学校教師を招いた講演では、イラクの中学生が日本の中学生に送った絵の中に「アイ・ラブ・ピース」「ケンポウ9ジョウヲシッテイルヨ」とメッセージが書かれている。
一方でまた違う絵には、友達が武力攻撃で血を流して死んでいる姿が描かれている…。
イラクの子どもたちは「平和」な生活がどんなものかしらないけれど、遠い日本という国が、ヒロシマナガサキで原爆を落とされた後、憲法9条がつくられ、復興し戦争のない毎日を送れていることは知っている。
だけど、そんな日本の「オキナワ」からアメリカ兵たちがたくさんやって来て、自分の家族や友達の命を奪っている。
そういう現実を語るイラクの先生の話に、全校生徒600人の子どもたちが食い入るように聴くそうです。
沖縄戦や戦後の基地問題を学んだ中学生たちは、「憲法9条があるのに、なんで基地があるんや」とズバリ本質をつく疑問を抱くそうです。
自分たちの知らない60年以上前に、自分たちの住んでいない沖縄やイラクやどこかの場所で、確かに戦争があり、自分たちと同じくらいの年の子どもが死んでいくことを学ぶ。
そういう教育を実践されているお話と、沖縄の基地問題を告発するお話の終わりに参加者から「戦争を知らない私たち世代には、たとえ過去の戦争と9条を結びつけるのは難しくても、今ここにある戦争として沖縄の現実は9条の大切さを知ることにつながると思う」と言われ、かたわらで遊んでいた子どもたちを見ながら、この子らのために「戦争はあかん」「基地はいらん」と伝え続けよう、学び続けよう、と確認しあう記念の集いでした。